平岡養一関連で、新しいレパートリー。
平岡自身が
「日本狂詩曲」貴志康一・平岡養一
と記している作品。
よく考えると、果たして、これが正確にこの曲の成り立ちを表しているかどうか。
楽譜には
NIPPON RHAPSODY
from the original music of Koichi Kishi - as conceived by Yoichi Hiraoka
Arr. by Hans Spialek
と記されている。
調べてみると、平岡養一がヴァイオリンの辻久子が弾く貴志康一作品にピンときて、楽譜を借り、いくつかの作品をつなげて木琴用に自身でアレンジした。それをHans Spialekが木琴とオーケストラ版にアレンジした、というエピソードがある。
うーん。
このエピソードも踏まえて、この曲のタイトルと作曲・編曲者を日本語で書くと、どうなるのだろう...
オリジナルの楽譜も検証しながら、実際に誰が何を行ったのかを、考える。
貴志康一に「日本狂詩曲」という、この作品は存在しないのだから貴志の作曲ではなく、
「日本狂詩曲」〜貴志康一作品による
と記載するのが、正しいのではないか。
で、conceived by とあるので、おそらく平岡がアイディアを出して、それを譜面にしたのが、H.スピアレク。
だから、平岡養一とH.スピアレクの共同編曲となるのでは?
この結論に至るまで、結構時間がかかりました。
「日本狂詩曲」〜貴志康一作品による 平岡養一・H.スピアレク編曲
と書くことにしました。
平岡とスピアレクの間は「・」がいいのかな「/」がいいのかな、とまだ考えているワタシ。
8月27日の岸和田でのプログラムは、1部、2部、それぞれの終わりに「日本狂詩曲」と「ハンガリアン狂詩曲」をもってくる構成を考えました。
コンサートのタイトルは1932年の建物で1935年の木琴を弾くので「1932×1935」。
どうかな?