子どもの頃から家業との関係で、昼食は「必ず12時」と決まっている。私は、「風呂敷の縫製」とは全く違う仕事をしているが、それでも両親と住んでいるので、今もその決まりに変わりはない。
1階が両親の、3階が私の仕事場なのだが、誰が昼食の用意をするかには、毎日微妙な駆け引きがある。子どもの頃は「お母さん」がその役目だったが、今では私も同等に義務があり、また「3人とも働いている」という理由で父もその役から逃れることは出来ない。誰が「一番手の空いた人」となるか。毎日ちょっとした攻防となる。
メニューは、麺類か、味噌汁と近所の肉屋さんのコロッケ程度の簡単なもので、とにかく12時に食卓に並ぶ、ということが最重要課題。だから、タイム・リミットは12時10分前。この時間までに、誰かが自主的に台所に立つ。あくまでも自主的に。
私が血相を変えて練習している音が3階から聞こえてきたら、父と母の決戦。玄関に未加工の風呂敷が山のように積まれている日は、私の負け。お互い余裕のない時は、お互いの仕事場から2階の台所の気配を感じつつ、誰かがコトコト音をたて始めることに期待しつつ、ぎりぎりまで粘る。
長屋住まいだからこその「気配を感じる」緊張感の積み重ね。私は、これが両親の老化防止に役立っているのではないか、とみている。
(毎日新聞関西版コラム「風の響き」2008年4月4日掲載)
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