通崎家コロナ感染記
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とうとう通崎家にもCOVID-19がやってきてしまいました。
まずは、私の新型コロナ感染で、ご迷惑をおかけした方々に、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。またご心配くださった皆様ありがとうございました。
ようやく自宅療養の私と父の自宅療養期間が終了しますので、ここにことの顛末を記したいと思います。
先週、母が40度を超える発熱で意識朦朧となり、救急車要請、第一日赤に搬送していただきました。その前に、電話でいくつもの発熱外来をあたったのですが、どこにも受け入れてもらえず、私が目を離した隙にベッドから転落、動けなくなり、救急車をお願いしたのです。救急車内では、要請5つめの病院で受け入れ先が決まりました。
その時点で、すでに肺炎がおこっており、入院。酸素投与が必要なレベルでしたが、重症化の手前で助かりました。
ただ、時間差で、同室で過ごした父が陽性。介抱していた私も陽性。おまけに、母の発症前日我が家に立ち寄った姉まで感染。
外での振る舞いには気をつけていたつもりでしたが、家庭内感染についての危機管理が乏しかったといわざるを得ません。反省しています。救急車に同乗、日赤で母と共に隔離部屋(空気清浄はされていました)に入った時点で、いやな予感はしましたが、その時点ではすでに感染していたのかもしれません。
母の濃厚接触者となった2日後に、父と私は、仲良く38度。そんな中、父を診てくださる発熱外来をみつけるのが、2度目の山場でした。
母の時は、かかりつけ医にも、「在宅療養あんしん病院登録」している病院にも断られたので、そう簡単に見つからないとは思っていました。初診にもかかわらず快く受け入れてくださった鈴木内科医院さんには、心から感謝します。
貸してくださったタオルケットがCORONAだったのはご愛敬(笑)
看護師さん達は、みなさんきびきびとかつ優しく、有り難いばかりでした!
母は、ステロイド治療を行ったため、隔離期間が20日となり(この規則は聞いていなかったが、救急外来で、ステロイド治療が標準と聞き、こちらもそれ以上の説明は求めなかった)別の病院へ転院。
父も、一時はパルスオキシメーターの数値が93になり、「陽性者フォローアップセンター」の指導により救急車要請騒動がありましたが、京都府から貸し出しの機器は、精度が出ないため、不整脈のある高齢者の数値は正確に測れない可能性がある(のではないか)、とのことで、無罪放免となりました。現在は、すべて正常値に戻っています。
私も、各種手続きや連絡に追われヘトヘトでしたが、ようやく気分的にも平常時に戻りました。早速、明日から生徒さんたちをビシビシレッスンできそうです。
濃厚接触になった時点で、食料を買い込んだので、普段食べないレトルトのおかゆ、とか。
料理せずに置いてあった小芋やかぼちゃを炊いたり、とか。
姉からの差し入れなど。
以前読んだ「南極料理人」の本(決まった食材で決まった期間やりくりする)の料理人になった気分で、食事の用意をしました。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20190309-OYT8T50099/
私の薬(漢方薬)の受け取りは、バイク便さんにお願いしたり。
おかげさまで、なんとかしのげました。
自宅待機中食レポは、また追って書きます(笑)
早々にお知らせすることになってしまったご近所さんやお友達からは、「何か必要なものあったら届けるよ〜」と有り難いお申し出をいただき、その言葉だけで気持ちが軽くなりました。ありがとうございました!辣腕ケア・マネージャーの内藤さんにも助けていただきました。
コロナが身近にやってきて、ようやく今起こっていることの「仕組み」が実感できました。テレビでは観たことがありましたが、父の担当訪問看護師さんが、防護服を着て診にきてくださったのには、感動しました。コロナ禍初期の医療逼迫時であれば、我が家もさらに深刻な事態に陥っていたと思います。これまでに、様々なシステムを構築してきてくださった皆さん、経験を積んで適切な処置をしてくださった皆さんに感謝します。
みなさん、呉々も感染にはお気をつけください!