吉田秀和賞贈呈式、ご報告。
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11月2日、吉田秀和賞の贈呈式が無事に終わりました。
『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生』」(講談社)執筆中にお世話になったみなさん、読者の方々を含め応援してくださったすべての方に、あらためて御礼申し上げます。
式の様子は、翌日いくつかの地方版に載りましたが、地元茨城新聞のこれが一番すてきだったかな。
以下、式の様子をいただいた写真でご報告いたします!
吉田光男(吉田秀和芸術振興基金理事長)のあいさつの後、正賞の表彰状をいただきカメラに向かってにっこり。
そのあと、副賞200万円の目録をいただきました。
とってもうれしそうです、わたし(笑)
この日は、審査委員長である杉本秀太郎先生がご欠席で、とても残念でした。
片山杜秀さんからのご祝辞。
これにつづいて「受賞者あいさつ」という名の演奏付き講演。
この至近距離、最前列正面に小沢征爾さんがお座りになったので、なんだかオーディションのような気分になりました(笑)。その後ろには井上道義さん。中咽頭癌の治療を終えて、先日復帰されたばかりなのに、水戸まで足を運んでくださり本当に感激でした。
二人のマエストロを前に、何か力説するわたし(笑)
平岡さんが昭和3年のデビューリサイタルでお使いになった楽器と同型のDeagan製、座奏用木琴も披露しました。
伴奏は、鷹羽弘晃さんです!
小澤さんは、「エストレリータ」に「ブラヴォ」の声を、最後はスタンディングオーベーションでおくってくださいました!
道義さんの表情が気になりましたが、後からうかがえば、どうやら合格点だったようで、ほっ。
無事40分の講演を終えた後、小沢征爾さんからご祝辞を頂戴しました。
『木琴デイズ』本文にも書いていますが、小澤さんは若い頃ニューヨークの平岡さん宅で食事をごちそうになったりされていたのです。御祝辞では「お嬢さん二人が美人だった」ともおっしゃっていました(笑)
面白かったのは、私が講演の中で話した「平岡養一は黛敏郎に木琴協奏曲を委嘱して、バーンスタイン指揮/ニューヨークフィルで初演が決まっていた、と公言していたにもかかわらず、「気に入らない」という理由で演奏しなかった」というエピソードを受けて「バーンスタインが黛をやりたくなかったのではないか」とおっしゃったこと。その理由は、何度か、バーンスタインの代わりに小澤さんが黛作品を指揮されたことがあったから。
それから、音が持続しない楽器でのレガート奏法について、斎藤秀雄さんが授業で、平岡のトレモロを引き合いに出して説明されたとか。時々「ね、道義くん」なんておっしゃりながらの、ご祝辞はとても和やかなものでした。
最後に、20代の頃から大変お世話になっている元アサヒビールの加藤種男さん(企業メセナ協議会専務理事)にもご祝辞を頂戴しました。
サントリー系列の賞に元アサヒビールの加藤さんもどうかな、と思ったのですが(笑)弾く、書く、話す、展覧会の開催など、この20年ほど、いろんな場面でチャンスを作ってくださったのは加藤さん。この方以外にはない!と、ご無理をお願いしました。温かなスピーチが嬉しかったです。
式が終わってから、小澤さん、平岡養一二女の良子さん(このお二人は何十年ぶりの再会)そして、私と道義さんで記念写真。心からうれしいひとときでした。
閉会後の記念パーティー。
乾杯のご発声はもちろん、道義さん!
二人で夜に京都の町を自転車で走ったことなど(笑)期待を裏切らない、楽しいスピーチをいただきました。
たくさんのお客さんが来てくださいましたが、ご紹介しきれず、この一枚。
手前は、校閲で大変お世話になった鴎来堂の柳下さん。校閲界のスター、柳下さんのチームのおかげで、ほとんど誤植のない仕上がりになりました。これまで原稿のやり取りだけで、言葉を交わしていなかったので、お目にかかれてとっても嬉しかったです!
パーティーでは、講談社の担当編集者、吉田仁さんからも御祝辞をいただきました。
この後、水戸芸術館でのコンサートタイムをはさんで、講談社さん主催のアンコウ鍋大会!
ぐだぐだで楽しかったです〜
帰れなくなった方、2名。だって、楽しかったんだもの、うれしかったんだもの〜
というわけで、水戸の夜が更けていきました。
とりいそぎのご報告でした!