氷川丸でのコンサート
29
氷川丸でのコンサートが終わりました。
今回は「船上でのイベント」という単なる「おシゴト」ではなく、戦時中、平岡養一がその木琴と共に日本に帰ってきた「日米交換船」に関連した企画。また会場が、戦時中ほとんどの船が撃沈されるなか唯一生き残った日本郵船の氷川丸。その一等食堂は、実際交換船の中で平岡さんが演奏されていたのと重なるようなシチュエーションということで、演奏するにも、力が入りました。
実は、初夏の頃、スカイツリーのふもとにある平岡養一さんのお墓参りに行って、お寺を出たちょうどその時にこの仕事の依頼を受けたので、なんだか平岡さんが呼んでいる!という気分でもありました。
コンサートには、平岡さんのご親族(まもなくお腹から出てくる玄孫くんも含め4代にわたるみなさん)をはじめ、平岡養一を懐かしむ世代の方が多く来てくださり、涙を流して聴いてくださる姿にこちらも感激でした。
今回、思い切ってプログラムに入れてみた平岡のレパートリー『軍艦行進曲』。これは、明治時代に作曲された今から考えれば奇天烈にも思われる伴奏付きなのですが(中間部に『海ゆかば』のメロディーがかさなって出てきたり…)ピアノの千花ちゃんの好演に助けられ、お客さんにかなり?!喜んでいただくことができたように思います(笑)
担当学芸員の海老名さんは、「どうしよう」と、かなり迷った末にご依頼くださったそうですが、私の方はこのような機会にあの場所で演奏できて、本当によかったです。海老名さん、ありがとうございました!
この日聴きに来てくださった、元、小学校校長、現在赤帽ふるさと運送、新井さんからいただいた写真です。
で、打ち上げですね。もちろん、中華街ですね。「萬来亭」です。
写真は「むつみを探せ!」みたいなことになっています(笑)
かなり「だれが、だれの何でしたっけ?」というような集まりですが…(笑)聴きに来てくださったみなさん、意気投合してくださり盛り上がりました。
二軒目のジャズ・バーではサントリーのウイスキー「白州」の立ち上げにも関わられたという、サントリーの冨岡さん自らをバーテンダーに?!「白州」をいただいて、盛り上がりました。贅沢ですね。
みなさん、本当にありがとうございました。
と、コレで、終わらないのが、いつものパターンですね。はい、前日の話と、翌日の話がまたつづく。
ホテルの窓からiPhoneのカメラで。