衝撃の伊勢崎銘仙!その2
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「飛行機銘仙」(谷本天志デザイン)と、原画、そして谷本さんお手製飛行機の帯留め。
(写真:中川忠明)
2003年、居内商店で販売されていた谷本天志デザインの飛行機銘仙に、どうして見知らぬ色違いが誕生して「伊勢崎銘仙×nuno」のコラボで使われたのか。
これには、こんな事情がありました。
富岡製糸場と絹産業遺産群(伊勢崎市を含む)が世界遺産に登録される流れで、銘仙を世界に向けて発信したい、伊勢崎銘仙を復活させよう、という伊勢崎の方が、国際的に活躍されているテキスタイルデザイナー、「布」の須藤玲子さんに、何かできないかと声をかけられました。須藤さんは、何度か現地に出向き伊勢崎の織物を見聞されます。その中で、出会われたのが「きじま銘仙」(木島織物所)。須藤さんは、ここで扱っている生地に興味を持たれ、購入して「布」の生地と組み合わせ、商品化されました。それが、昨日紹介したものです。多くの反物の中で、飛行機銘仙が須藤さんの目にとまったというのは、やはり谷本デザインのすばらしさ!これには、ちょっと感動いたしました。
とはいえ、私たちが銘仙の反物を作ったのは「森村銘仙」。しかも、限定販売だったはず。では、森村銘仙で作ったはずの生地がどうして色違いになって「きじま銘仙」として販売されたのか。それには、こんな事情があります。
我々がおつきあいしていた頃、すでに森村さんはご高齢。腎臓病で透析のための病院通い、奥様は認知症を患っておられるという状況でした。居内商店さんの御尽力により、森村さんには素敵な銘仙を仕上げていただいたのですが、その後森村さんは鬼籍に入られます。
森村さん亡き後、森村さんが所有されていた染めの「型」は、捺染工場に置いたままになっていたようです。そこで、同じ工場に捺染を依頼されていた木島さんが、森村さんの「型」を使って(買い取ってか、頼まれてか、なんとなくか、ここは不明)「きじま銘仙」のブランドで商品を作り、販売を始められました。その段階で、飛行機銘仙の「色違い」が誕生したのです。森村銘仙で製造、居内商店で販売されていた商品は全て居内さんへの断りなく「きじま銘仙」として販売されていました。ここに、契約、著作権、業界の慣例….いろいろなことが見え隠れしますが、関わっておられる方が80歳以上と高齢、悪意が感じられない、製作された商品は上質であった、ということもあり居内商店さんは納得せざるを得ず(引き続き経緯は調査中)衝撃の伊勢崎銘仙事件は幕引きとなりました。
「布」の方では、この話が持ち上がってすぐ、HPに伊勢崎銘仙デザイン、として谷本さんのクレジットを入れてくださいました。この場を借りて、敏速な対応に感謝します。なお、この写真の商品は来週から日本橋三越本店で販売されますので、ご興味のある方は是非お出かけください!
http://www.nuno.com/post/nuno-atelier-2014-10/
この間、いろいろ確かめるべく居内さんも調査をされたのですが、木島さんもお亡くなりになり、奥さまが細々と在庫を販売しておられる様子。捺染工場も2011年の地震の際に被害を受け、操業がストップしたまま、とのこと。1930年の最盛期には456万反生産されたという伊勢崎銘仙ですが、森村さん、そして木島さんがお亡くなりになり、現在は誰も作る人がいなくなってしまったという切ない話になりました。
また今回、現地の行政関係のことなど調べるにあたっては、赤帽・ふるさと運送の新井さんにご協力いただきました。ふるさと運送の新井さんは、このブログにも何度か登場していただいていますが、伊勢崎市立境島小学校の元校長先生。2008年、この小学校で演奏して以来、校長から赤帽に「華麗なる転身」をされた今も親しくおつきあいさせていただいております。
http://www.jomo-news.co.jp/silk/new/20081206/20081206.htm
私の演奏会の日も、講堂に銘仙を展示したり、全職員着物で出迎えてくださるなど、まさにシルクカントリーの小学校、絹文化、織物、銘仙を愛する心が伝わってきました。
戸矢崎さんの和紙製ジャケットの写真から、須藤さん、伊勢崎銘仙、谷本さん、ふるさと運送まで、ぐるりとつながりました。これを機会に伊勢崎銘仙の復興を目指して!と気炎を上げるまではいきませんが(笑)銘仙を通してまた面白い試みが実現すればと思っています。
ふるさと運送さんより、現在「至宝のいせさき銘仙展」開催中との情報をいただきました。
http://www.go-isesaki.com/isesaki_meisen_3.html
近々伊勢崎にもお邪魔しなければ!