小澤征爾と平岡養一
01
「今、甦る!木琴デイズ」のシリーズも早いもので、5月16日のコンサートで7回目を迎えます。今回のゲストは、弦楽四重奏団「クァルテット・エクセルシオ」のみなさんです。
平岡養一は、戦前のアメリカで、ニューヨーク・フィルのメンバーらで結成された弦楽四重奏団と出逢い、共演を重ねます。中でも、ヴィオラ奏者のデイヴィッド・ケイツとは公私共に長く付き合いが続きました。戦争が始まり、アメリカ在住の平岡養一が日本に引き揚げてくる際、ニューヨーク・フィルとNBC交響楽団のメンバーから餞別を集め、「敵国人」となったはずの平岡に届けてくれたのも彼でした。
平岡は、この厚い友情に人目もはばからず声をあげて泣き、戦争が終われば必ずやアメリカに戻ってこようと心に誓ったのです。実際、戦中・戦後日本での20年の活動を経て、55歳で再渡米した際も、カーネギー・ホールで彼らと共演を果たします。
平岡と弦楽四重奏の十八番は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。この譜面があることをすっかり忘れていたのですが、ある時ピピピと閃いて、探したらでてきました!
手書き譜から、大きな編成で演る際の譜面まで、アイネ・クライネがたくさん束になっていたのでした。
先日、この譜面でもって、クァルテット・エクセルシオのみなさんとリハーサルしました。なかなか楽しいサウンドでした!
ここに1枚の写真があります。
真ん中に立っているのは、指揮者の小澤征爾さん。
木琴と弦楽四重奏でのアイネ・クライネを、日米で多重録音した際、小澤さんが監修として立ち会われたのです。ちょっと時代を感じるエピソードではありますね。小澤さんは、若き頃、ニューヨークの平岡養一さん宅によく遊びにいっておられたそうです。なので、今でも平岡さんのお嬢さんらは、小澤征爾さんのことを、アメリカ流に?!「セイジ」と呼ばれます(笑)お食事をしたり、スケートにもよくご一緒されたとうかがいました。私が吉田秀和賞をいただいた時、小澤征爾さんからご祝辞を賜ったのですが、その際も平岡さんの思い出を熱く語ってくださいました。小澤さんが「平岡」の名前を知ったのは学生時代、指揮者・齋藤秀雄さんの授業にて。齋藤先生は「弦楽器や管楽器の人は、楽器に甘えてなにげなしに音を伸ばすが、例えば木琴の平岡養一は、楽器の音が伸びないがゆえに、常に音と音をいかにつなげるかを考えている」。そんなことをエンタシス(古代建築の柱のふくらみ)を引き合いに出して語られたそうです。
と、話がそれてしまいましたが、先日東京での初リハーサル。多くの著名演奏家と共演しておられるエクセルシオのみなさんですが、さすがに木琴ははじめて(笑)10時から4時まで集中して音を出し、音楽の方向性も見えてきました。前日の練習でぐっと深めて、本番を迎えられそうです。
件の「アイネ・クライネ」の他、弦楽四重奏伴奏での「チャールダシュ」、江文也「祭りばやしの主題による狂詩曲」。林光編曲のバッハ「3声のインヴェンション」(←オリジナルは、ご存じ2声のインヴェンション)を、木琴+ヴァイオリン+チェロで。西邑由記子さんのおしゃれなアレンジ「雨にぬれても」は、木琴+ヴィオラ+チェロで等々。ああ、モーツァルトの「フルート四重奏曲」を「木琴四重奏曲」として演奏するのも楽しみです!お話を交えた充実の90分となりそうです!是非お出かけください。
詳しいコンサート情報は、こちら。