堀音70年
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来週末、堀川高校音楽科同窓会の創立70周年記念、第9の演奏会がせまってまいりました。
私は、4楽章にのみ出てくるトライアングルのパートを担当します。
大学生の頃よく関西フィルのエキストラによんでもらっていたので、第9のトライアングルは何度もやっていますが、今回は30年近く振り?!でしょうか。中学か、高校生の頃にがんばって購入した、ラディックのトライアングルを出してきて練習しています。
第9の思い出といえば、今回と同じ指揮者、佐渡裕さんでの演奏会。京都の亀岡会館。舞台袖から吹き込んでくる風が冷たくて、ずっと待っている3楽章の間に身体が冷え切り、曲が終わる頃に風邪をひいていたことでしょうか(笑)
当時いろいろ試して手作りしたのはトライアングルの持ち手。結び目がほどけないように再度接着剤を付けた方がいいかな(笑)
さて、堀音の創立70周年。そういえば、記念誌に短いエッセイをと頼まれ、書いたのでした。すでに配布が始まっているようですが、予約するの忘れた… 記念パーティーも申し込むの忘れた…. はぁ、せめてトライアングル頑張ります!(笑)
先日、木琴デイズの演奏会のアンケートを見ていると、堀音の時の担任・塩谷則子先生が聴きに来てくださっていました。それから、塩谷先生とメールのやりとりをしたのですが、そうそう、記念誌には、先生のことを書いたのでした!
以下、本文。
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我がクラスは、堀音史上5本の指に入る個性的な学年といわれているらしい。学年で一番の有名人には、独創的な活動で人気を誇るヴァイオリニスト・葉加瀬太郎くんが挙げられる。当時、彼も個性派グループの一翼を担っていたが、場面毎に彼を凌ぐ強者達が揃っていたのだから、相当に意気軒昂な学年だったといえるだろう。
だが、そんな多士済々の同級生達よりもさらに個性的だったのは、担任の国語科・塩谷則子先生かもしれない。当時、先生は「トラにパンを買ってきます」という生徒の声に「ここは動物園か」と思われたそうだ。我々(もちろん全員ではない)の授業態度があまりに自由奔放、猛獣化していたからそんな連想が働いたのだろうか。オーケストラのエキストラを「トラ」と呼ぶことすらご存じない、音楽業界にはうぶな先生だった。
先生は、「音楽一筋、勉強は二の次」の私たちをどこかで面白がっておられたように思う。「好きな詩をもってきなさい」と言われ、ロックミュージシャン・忌野清志郎の歌詞をもっていけば「これは素晴らしい」と板書し、楽しそうに独自の解釈を披露されるのだった。ある日古典の授業で、世阿弥著『風姿花伝』の第一章、年齢に応じた能役者のあり方を示唆する「年来稽古条々」を取り上げられた。五十を目前に、年齢的な衰えを感じ始める今日この頃。「上るは三十四五までのころ、下るは四十以来なり」。塩谷先生の、縺れながら転がり進む独特の弁舌と共にこの一説を思い出し、ふと「みんなどうしてるかな」と、同級生の顔を思い浮かべている。(通崎睦美)
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先生によると、本日(30日)夜8時からの放送のTBS「ぴったんこ☆かんかん」で、塩谷先生が葉加瀬太郎くんと卒業アルバムを見ているシーンが写るかもしれないそうです!みなきゃ、です。